即位とビスマルクの起用

ヴィルヘルムは1857年から、病床にある兄フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に代わって政務を執るようになり、翌1858年には摂政の地位に就いた。

兄王の死去した1861年、ヴィルヘルム1世は既に63歳であったが、フリードリヒ1世をまねてケーニヒスベルクで自ら戴冠した。

ヴィルヘルムはただの反動主義者ではなく、穏健な保守的自由主義との協調をめざした。

しかし1861年の選挙では、保守派が大敗してわずか14議席しかとれなかったのに対して、急進的な進歩党が109議席獲得と躍進したため、王は即位早々危機に陥った。

議会を解散させても状況は悪化する一方で、次の選挙では保守11議席に対して進歩党133議席となり、軍制改革の予算を巡っての論議で追い詰められた王は退位も考えた。

ヴィルヘルム1世はこの窮状を打開するため、パリ駐在大使ビスマルクを召還し、彼の主張する鉄血政策を実行させた。

自身老練の政治家だったヴィルヘルム1世はビスマルクを理解し信頼していたが、強引なビスマルクとの間に常に良好な関係が保たれたわけではなく、「この男は私に、いつまでたっても気心の知れぬよそよそしさを覚えさせる」。
update:2010年02月22日